2006.06.14 Wednesday
結婚ってか!
常トラ(常時エキストラとして正団員と同じような活動をする遊軍)から
正団員への試験に合格し、晴れて当時の社団法人二期会と雇用関係を結んでから、すぐに僕は結婚をすることにしました。 給料は一般社会の約半分。それでも、歌ってゆけることが嬉しくてなりませんでした。お邪魔虫でも、濡れ落ち葉でもいいから、演奏の現場にどうしてもいたかったのです。 結婚当時は、家内はまだ大学の3年生。 いまから思えばあまりに無謀でした。 (よくあちらのご両親がゆるしたもんだと今でも思います) 学生妻・・なんだか、ちょっとくすぐったい響きにも耐え、彼女は学業に、 アルバイトに精をだし、その上、きっかけとなった混声合唱団でも卒業するまで歌い続けるというバイタリティにあふれた娘さんでした。 二人して東横線の日吉にあった新居をでて、僕は当時二期会のあった代々木で下車、彼女はそのまま乗って高田馬場へ。 でもって、彼女のアルバイトやら、僕の演奏旅行やらで、ずいぶん派手なすれ違いを経験しつつもなんとか新婚生活を続けていました。 いまでも日吉の駅を通ると、不思議な感覚になります。 新居は僕の父親が住んでいたマンションが、父親の転勤で空いたために、横滑り的にはいりこんで暮らしていましたから、住宅費としては少し負担がかるかったのですが、それでも、やっぱり貧乏は貧乏です。 何しろ、さっきもいいましたけど、普通の初任給が3万7千円の時に、僕の給料は1万5千円程度だったのですから。 若さというのは、ずいぶんと大胆なものです。 それでも、それほど苦しいとは思っていなかったような気がします。 二期会の同期の仲間を呼んでは、まるで大学時代のように、狭い部屋でみんなで雑魚寝をし、下手なギターをかき鳴らしては、「神田川」なんかを歌って遊んだものです。 やがて家内も大学を卒業。一般会社には就職はせずに、学習塾の講師になり、夜な夜な勤めにでるようになりました。 旦那は朝九時から九時まで練習場で歌いっぱなし。 まあ、こんな形の結婚もあるかと、けっこう二人ともあっけらかんとして暮らしておりました。茫洋とした未来を見極めようとするよりも、「まあ、なんとかなるよな」・・・・・・二人とも血液型はO型です。 でもねえ・・・・。 やっぱりこのままの生活じゃまずいわなあと思うことが何度もありました。 昇給は、年に一度の昇給試験で決められます。 その演奏能力にみあっての昇給額ということではありましたが、数千円の昇給では、一般社会との格差は開くばかり・・・。 いくら歌が下手だといったって、そこに雇用されている以上は最低限の生活保障をしてもらってもいいんじゃない? その頃、いくつか音楽関係の労働争議が始まりました。 フジテレビと日本フィルとの抗争。東京放送合唱団内部での正団員と準団員との格差是正のための闘争。「音楽家も労働者だ!」という機運が急速に高まってきた時期です。 我が二期会合唱団にもそんな風が吹き始めました。(つづく) |
